2007年8月28日火曜日

秋田公演(1)



 今日から31日まで、4日間8ステージの公演です。
 上の写真はリハーサル。下の写真は水道管の尺八です。オーケストラアジアジャパンの学校公演は、鑑賞、体験、参加を柱に構成を作っていますが、水道管の尺八は児童生徒に体験してもらうために用意したものです。ステージに数人あがってもらって、メンバーの指導で音を出してみます。プーっと鳴れば大成功。鳴らなくたってそれはそれで客席全員が興味を持ってくれます。でも、5人挑戦したら3人、3人なら2人は音を出しますよ。

2007年8月27日月曜日

横手の夜



 今週は秋田県内での巡回公演です。8月28日から31日までの4日間、8ステージのスケジュールです。で今日(27日)、横手に入りました。
 横手といえば、いまは「焼きそば」だそうですが(焼きそばの町宣言をしたとか)、ホテルに近いところで「七兵衛」というお店に出かけました。郷土料理を売りにする気軽で手頃なお店でした。とんぶり、じゅんさい、比内地鶏、エゴ(海草)、カオス(エイのひれの煮付け)。秋田といえば「きりたんぽ」と思ってらっしゃるでしょうけど横手はあんまりやらないんですよ、とお店のひと。でもメニューにはありましたので注文しました。ほかに、お米の粉を使った料理という項目から、「こまちピザ」と「横手プリン」を。これらは、市の農政課のアイデアだそうですが、いまメニューにのせているのはこの店ぐらいだと、この店の人が言ってました。そしてもちろん「横手焼きそば」も。茹でた焼きそば麺にスープのようなソース。目玉焼きがトッピングされ福神漬けが添えられて、初めて食べましたがどこか懐かしい味でした。

 「七兵衛」のあとは、「ゆうゆうプラザ(温泉)」で手足をのばして疲れを癒しました。ホテルで無料券がもらえました。

2007年8月20日月曜日

CD企画進行中(4)録音終了


 さて、このCD企画も無事録音を終え、発売に向けての作業に入ることになります。
 現在情報として、発売元はキングレコード、発売日は10月24日、アルバムタイトルは未定ですが、「(仮題)祇園精舎/オーケストラアジアジャパン」というような感じになりそうです。レコード番号もこれから付与されますが、決定すれば事前の広報宣伝に明記されますので、それで予約も可能になります。11月8日はオーケストラアジア本体の2007年ツァーの東京公演(すみだトリフォニーホール)で、そこでの即売もあります。

 その中味ですが、伝統音楽の今日的楽しみということをコンセプトに、邦楽の有名曲を現代の合奏様式にあわせて編曲した作品が9曲、伝統音楽に題材をとったオリジナル曲が1曲というもので、これにはオーケストラアジアジャパンが行った自主公演の成果が盛られています。すなわち、邦楽名曲シリーズは2007年紀尾井ホール公演で、オリジナル曲(祇園精舎)は2005年四谷区民ホール公演での上演曲でありました。

 (収録順不同)
 箏曲からは「千鳥の曲」と「六段の調」
 長唄三味線の世界からは「勧進帳」と「元禄花見踊」
 義太夫三味線は「野崎村」
 尺八楽は「鶴の巣籠」
 琵琶楽は「崩れ」
 雅楽は「越天楽」
 「さくらさくら」も入っています。
 これらはすべて、オーケストラアジアジャパンの大編成(15パート30人)用に新しく編曲されています。
 さらに「祇園精舎」(琵琶協奏曲)というオリジナル曲に触れていただくならば、伝統は創られていくものだということがわかっていただけるでしょう。

2007年8月19日日曜日

CD企画進行中(3)レコーディング


 8月15-16日の二日間、いよいよ録音本番となりました。場所は、所沢市民文化センターMUSEマーキーホールです。
 アルバム収録は計10曲。日をわけて5曲ずつ録音したわけですが、4-5分の曲が8曲、13-15分の大曲が2曲。しかも楽器編成は30人、複雑なアンサンブルも要求されるとなると、普通ならあと一日予備日を用意しておくのが安全なのですが、我がオーケストラアジアジャパンは見事に成果をあげたのでした。

 写真は、尺八ソリストと指揮者の打ち合わせ。丁寧な音作りがあってこそ、奏でられる音楽の素晴らしさ。集中力と一体感は、温もりのあるサウンドとなって聴き手に伝わることは間違いありません。

 (身内とはいえブラボーでした。)

2007年8月9日木曜日

ナガサキ

 やはり私たちはヒロシマ、ナガサキの悲劇を忘れてはいけないでしょう。わたしたちは昭和史をよく勉強し、二度とこの国を戦争に向かわさないようにしなければなりません。今日の長崎平和祈念式典では、例の久間発言への強い抗議が込められたことがニュース等で伝わっていますが、当然です。政治家はこのような淋しい言葉を口にしないためにも、この戦争の本当の姿を学んで欲しいと思います。

2007年8月6日月曜日

ヒロシマ

 「運命の夏、8時15分。朝凪を破るB-29の爆音。青空に開く落下傘。そして閃光、轟音-静寂-阿鼻叫喚。」「辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨むほどの地獄でした」。広島市長平和宣言は、静かに強く原爆のむごさを訴えました。しかし被爆者の方々がいくら訴えても、世界から核兵器はなくなりません。それどころか、日本の政治家の口から核保有を議論する時期にきているなどという発言があったり、例の「しょうがない」発言があったりと、広島長崎の悲劇は風化され始めているのでしょうか。「あるがままの憲法を順守」してほしいというのが平和宣言の結びでしたが、改憲を目論む政治家に、この言葉はどのように届くのでしょうか。