2007年12月31日月曜日

手打ち蕎麦のあるパーティー

 12月30日。長年のおつきあいの先輩宅でパーティーがありました。先輩夫妻が結婚以来毎年クリスマスの時期に開いているホームパーティーです。私は最初から出席している常連で、もう30数年の歴史であります。集まるメンバーは多士済々、雰囲気は和気藹々と、毎年楽しみにしているパーティーなのです。
 下の写真は、出席者のひとりでオーケストラで活躍する別の先輩が打った蕎麦です。これがうまいのなんの。玄人はだしの腕前。住んでいるところが深大寺ときては、是非お店を出してほしいほど。毎日でも食べたい味でした。


 その先輩が教えてくれたのが下の写真の立体です。1枚の紙にハサミで切り込みを入れてこの形を作るのですが、見れば見るほどなんとも不思議な、ありえない形なのです。もちろん作り方は教えてくれず、つまりクイズとして出題されたわけです。


 結局家に帰ってじっくり考えたら解明できましたが、いや実に素晴らしい発想ですね。下の写真は私が作ったものですが、形の不思議な部分がわかるように写してみました(裏から見ても同じ形です)。息子によるとこれは結構有名なのだそうですが、もしまだご存知ないようでしたら挑戦してみて下さい。できると頭がスッキリしますよ。

2007年12月29日土曜日

納会は火鍋で


 昨日は、オーケストラアジアジャパンの納会でありました。午後は会議室を借りて真面目な話し合いを。夕方からは場所を移して忘年会という流れです。写真は四川料理の「火鍋」で、お店は池袋西口にある「四川苑」。ここは、揚琴(ヤンチン・中国楽器)の成燕娟さん夫妻のお店です。
 今年の出来事はこのブログに綴られているわけですが、思えば楽しい一年でした。来年も感動あふれる日々が続く一年になるように願うばかりです。メンバーのみなさん、お疲れさまでした。

2007年12月26日水曜日

藤舎囃子研究会


 今日は藤舎囃子研究会という長唄の演奏会を鑑賞してきました(国立劇場小劇場)。家元の藤舎呂船(とうしゃ・ろせん)さんをはじめ、笛の藤舎名生(めいしょう)さんら藤舎流の腕達者が揃い、唄は宮田哲男さん杵屋喜三郎さんほか、三味線は杵屋五三郎さん今藤政太郎さんほか豪華な出演陣です。演目は、「新石橋」「春秋」「羅生門」「地歌・東山」(富山清琴)「綱館」「四季の詠」と、私はあまり馴染みはありませんでしたがたっぷりの内容で、長唄による演奏会という趣旨への意思と意気込みが感じられるものでした。
 呂船、名生はやはりさすがですが、呂船さんの小鼓(つづみ)がなんともいえず素晴らしく、それは凄みのある凄さでなく柔らかな凄さなのです。芸というものはこれですね。

2007年12月8日土曜日

千年の仕事

 本日は雅楽の演奏映像を録画する仕事のお手伝いをしてきました。2002年に雅楽によるアメリカ公演に同行したことがありますが、そのときの縁で今回お願いした方々です。雅楽は、現代の耳には時間の流れが圧倒的にゆっくりなわけですが、そのゆったりとしたテンポに浮遊感を感じ、主旋律を受け持つ篳篥(ひちりき)や、その旋律を装飾する竜笛(りゅうてき)や笙(しょう)の動きに身を委ねてみると、いまの音楽とはまた違う感じで楽しめると思います。スタジオの隅で雅楽を聴きながら、千年に及ぶ歴史のはじっこであってもこうやってそれに関係できる仕事をさせてもらえるのですから幸せだよナ、と思うのでありました。
 演奏は、中央の篳篥が中村仁美さん、左の竜笛が八木千暁さん、右の笙が石川高さんでした。

(どういうわけかパソコンの調子が戻っているのでまだ修理に出していないのですが、心配ですからきちんと診断してもらったほうがいいでしょうね。)

2007年12月5日水曜日

PC不調につき

 愛用の(1台しかない)パソコンが不調におちいりました。キーボードの異常で、どうやら交換になるようです。ということで、パソコンが入院することになったため、しばらくの間ブログをお休みします。どうぞよろしくお願いします。

2007年12月1日土曜日

帰り道は遠かった

 大村市での最終公演を終えて、一路東京へ。といってもまずは新門司港を目指します。フェリーの出航時間までは余裕がありましたので、途中大村湾を一望するパーキングエリアで休憩。

 新門司港からはこのフェリーで大阪まで。瀬戸内海を12時間の船旅です。

 船内にはクリスマスツリーが飾られていました。明日大阪に着くともう師走なのです。

 大阪南港着は翌12月1日の08:00。ここから事故なく走ることが旅の仕上げです。しかし毎年経験していますが、往きよりも帰りは実感として遠いですね。富士山を正面に見ながら大井川を渡ったときは、ちょっとした感慨がありました。

 思えば11月はオーケストラアジア月間ともいえました。オーケストラアジア日本公演が2公演(東京、焼津)、オーケストラアジアジャパンによる九州公演(宮崎、長崎)が23公演。陸路走行2,849km、海路約1,240km。確かに疲れましたが、この充実感はたとえ様がありません。いつまでも長く現場にいたいものです。

長崎公演(4)

 長崎公演4日目は大村市内の養護学校でした。小学部中学部合同の鑑賞でしたが、みな元気なこどもたちで、元気なままコンサートを楽しんでくれました。楽器の体験や「さくらさくら」の共演も、いつもと同じにやりました。とてもセンスのいい子もいて、客席にいるときは各楽器の演奏の真似をして盛んに手を動かし、舞台上での太鼓体験では自分なりにフリをつけて叩くのです。見得を切って打ち上げたときは大喝采でした。

 終了後学校側の希望でクラス毎に記念撮影を。

 楽器にさわったり。

 演奏者にさわったり。

 最終公演は明るく賑やかな雰囲気で締められたのですが、ひとり大声で泣いている大柄な中学生男子がいました。先生によるとアンコール曲のときから泣きはじめたのだそうで、心が動いたのでしょうねというお話しでした。

2007年11月29日木曜日

大村の夜「つんなも」

 長崎公演も明日1日となり、宿泊は今夜が最後でもありましたので今日は打ち上げと相成りました。
 選んだ場所はホテル近くの居酒屋でした。オープン1年とのことですが、去年は大村に来ていませんのでこの「つんなも」というお店は知りませんでした。「つんなも」とは方言で、「皆が集う」というような意味だそうです。気の置けない店で、個室中心のため打ち上げにはピッタリでした。なによりここにも接客上手の女性仕事人がいて気分がよかったですね。
 写真は焼酎のボトルですが、「霧島」(芋焼酎)の40度720ml入りです。芋焼酎は度数の高い方がウマイと高千穂の酒造で教わったことがありましたのでこれにしたのですが、芳醇な香りからするとさぞ美味しいだろうと想像されました(私はお酒を飲まないので香りだけ)。やはり美味しいお酒は酔いも高級なようで、話しもはずみ素敵な夜となりました。
 さぁ、明日も天使のようなこどもたちに日本の音楽を届けに行きましょう。

長崎公演(3)


 長崎公演3日目は雲仙市で2ステージでした。1回目2回目とも複数校の合同鑑賞でしたから、体育館は満員のお客さまで埋まったということになります。写真は開演前に盗み撮りしたもので、うまく撮れていませんが、みな元気なこどもたちでした。公演を終了して帰るとき、たくさんのこどもたちから「また来てね」と言われました。ホントにまた来ちゃいましょうね。

2007年11月28日水曜日

魚荘の諫早寿司

 さて諫早の夜です。諫早にはこれまでも何回か来ているのですが、去年見つけたのが「魚荘(うおそう)」という鰻料理のお店です。大きなお店で有名店のようですから、知らなかったのはこちらの情報収集能力不足なのでしょうが、常宿のホテルからは少し遠いところにあるので、歩いて見つける範囲ではなかったことも確かです。とにかく去年初めて来てとても印象がよかったため、今年は諫早に着いたらここと決めていました。このお店でだけ食べられる「諫早寿司」という鰻の押し寿司が第一の目的です。

 立派な構えのお店です。私たちが到着したとき丁度観光バスが1台停車し、団体さんが入っていきましたので、なかなかの有名店であることは間違いありません。

 去年の経験もあるのでメニューは前もって決めていました。どれも美味しく、すべて待たされず運ばれてきたため写真を撮り忘れて箸をつけてしまい、料理の写真はすべて食べかけとなってしまいましたがお許し下さい。

 この「若鶏のからあげ」は美味なうえにボリューム満点で、これははずせない一品です。(1人前6ピース)

 次いで「牛刺」。ショウガでもワサビでも。(食べかけですが肉は10枚ありました)

 「野菜サラダ」は新鮮シャキシャキ。マヨネーズでもドレッシングでも。私はマヨネーズ。

 「うざく」。酢の加減が丁度よい。(食べかけ御免)

 「う巻き」。(ホントはお皿に2つです)

 これが噂の「諫早寿司」。このお店でしか食べられません。寿司メシには紫蘇の葉や干瓢などが上手にあわせられて、ネタの鰻と相性抜群。1人前8貫です。以上のメニューを各3人前ずつ7人で食べ尽くしたたのですが、完全に満腹でありました。飲み物も入れてお勘定は割り勘で2,800円程度でしたから、お腹も懐も大満足。お酒は長崎の「杵の川(きのかわ)」の辛口ぬる燗が、ここの料理に丁度いいと、飲む仲間が言っていました。

 と、ここでなんと、サービスの「お汁粉」が。デザートということでしょうが、これがなんとも素晴らしかった。完全な「汁」粉ですが、甘さの中の塩加減が絶妙なのであります。サービスですからとすすめられるままに2杯目をおかわり。今夜の食事は申し分なしでした。
 この魚荘さんでわたしが感動したのは料理の味以上に、「もてなし」です。過剰なことは何もないのですが、お店全体にお客を迎える空気があること。特に書いておきたいのは、「チーフ」と呼ばれていた女性管理者の接客の素晴らしさ。機知あふれる会話も魅力的で、いや実に見事な仕事人でした。

長崎公演(2)


 長崎公演2日目は諫早と長崎市で共に養護学校での公演でした。長崎県での公演では毎年養護学校の公演がいくつか組まれ、この日訪れた両校とも過去に公演をしたところでした。重度のこどももたくさんいましたが、できるだけ楽器にも触れてもらいましたし、できる楽器で「さくらさくら」を一緒に演奏したりと、私たちがいつもやっている公演内容のまま日本の音楽を楽しんでもらいました。音楽の力が信じられる素敵な時間でした。

2007年11月27日火曜日

長崎公演(1)

 11月27日、長崎公演初日は宇久島です。中学校1校と小学校2校が合同で鑑賞しました。写真はリハーサルのときに撮ったものですが、「さくらさくら」を中学生の箏(こと)と篠笛、小中学生のリコーダー演奏とで共演するため箏を弾く生徒と打ち合わせをしているところです。6人の生徒のうち、中央の二人が3年生、その両脇が2年生、さらにその外側が1年生で、一番手前の生徒はナント昨日初めて箏にさわったというのですが、姿勢もよくとても立派に弾いていて驚きました。センスなんでしょうね。
 「邦楽」という言葉への先入観はたぶん大人だけがもつもので、こどもたちは実に素直に日本の楽器や音楽に接します。その音楽が楽しいかどうかだけが大事なのでしょう。

平家の里宇久島へ

 11月27日から始まる長崎公演は、まず宇久島からです。宇久島は五島列島の北端で、佐世保からは海路約60km、フェリーで約3時間のところです。現在は佐世保市に統合されていますが、島の人口は減る一方ということでした。壇ノ浦の合戦のあと逃れてきた平家盛らが製塩技術などを教えたなどの伝説があり、平家の里とも呼ばれています。とても穏やかな島で、時間の流れもいつもの日常とは違うようでした。この島でどんなこどもたちに出会うのでしょうか。

 私が乗ってきたフェリーはやがて宇久島を離れ、次の寄港地・小値賀(おぢか)に向かっていきました。

佐世保のレモンステーキ

 翌日朝10:40のフェリーに乗るため11/25は佐世保に宿泊しました。佐世保での楽しみは、ここ「れすとらん門」のレモンステーキです。最初の出会いはかれこれ30年前。で今回が5回目ですから、細く長いおつきあいということでしょうか。大きなお店でないところも気に入っています。

 オードブルはヒラメの縁側のカルパッチョ。厚いタマネギが敷いてあっていっしょに食べる食感がグッドでした。

 スープは、木の子のポタージュ。ココアのような風味でした。

 これがメインのレモンステーキ。レモンをたっぷり絞っていただきます。たぶんあまり高級なメニューではないのだと思いますが、薄切りの牛肉は美味しいですよ。

 デザートは、カスタードのオレンジソース。


 以上ちょっと贅沢な食事でしたが、量的には少し物足りず、帰りに佐世保バーガーを買って夜食にしました。

2007年11月24日土曜日

映画「マイティ・ハート」

 本日もまた佐賀のイオンシネマにてひとり映画鑑賞会でした。今日は、「マイティ・ハート」というアメリカ映画でした。この映画は、9・11テロの翌年、2002年のパキスタンで起きたテロリストによるジャーナリスト誘拐事件を基に、生存を信じて夫を待ち続けた妻の30日間を描いた愛の物語です。制作はブラット・ピットというのも興味がありました。誘拐されて殺された夫はかなり優秀なジャーナリストであったようで、奥さんもまたジャーナリストです。この奥さんが書いた実話をもとに映画化したわけですが、事件のとき奥さんは妊娠しており、事件のあと男の子を出産し二人でパリで暮らしているシーンが流れて映画は終わります。「愛と絆」の副題はよく表現されていて感動しました。が一方で「聖戦(ジハード)」と呼ばれるどうしようもない悲劇についても考えさせられました。政治と宗教の問題は、浅学非才の輩に語れるほど簡単ではありませんのでパスしておきますが、ちょっとだけ言うならば、騎兵隊(アメリカ)とインディアン(イスラム世界)という昔の西部劇的構図が薄く見えるようで少し気になりました。これはアメリカ映画というかアメリカの中にずっと浸透している傾向なのでしょうか。テロは憎むべきですが、地球にはいくつかの世界があるわけで、違いに対してどのようなまなざしを送るか。世界のありかたというようなことを考えてしまったとだけ記しておきます。

2007年11月23日金曜日

新陳代謝促進食堂「辛辛」

 佐賀市にくると是非行きたい店が1軒あるのです。コンビンザンという名のヴェトナム料理店なのですが、運悪く現在改装中でした。そこでブラブラ歩いてみると、新陳代謝促進食堂「辛辛(カラカラ)」という看板が目にとまりました。

 韓国料理の店で、辛いのが売り物ということのようです。東京あたりでは見かけないようですがチェーン店かもしれません。ひとりですから焼肉でもないだろうと、豆腐チゲとご飯と韓国風サラダを頼みました。チゲの味もまあまあでビックリするほどの辛さではありませんが、ホテルのサウナのあとにしてはそこそこ汗をかきました。昼は映画で涙を流し、夕方サウナで汗流し、夜はチゲでまた汗をかきましたから、今日の成果は新陳代謝ということになるでしょうか。

泣きました「続・三丁目の夕日」


 今日から3連休。私も旅先の佐賀で連休というわけです。来週長崎県に入るまでの間、かつて常宿的に毎年利用していた佐賀市内のビジネスホテルに逗留して疲れをとることにしたのです。このホテルは極めて庶民的なビジネスホテルでその分気が置けず、朝食バイキングサービスあり、サウナ付大浴場あり、大規模コインランドリーありで、連泊するにはうってつけなのです。私は旅の仕事で休みがあるとよく映画館に行くのですが、佐賀にはイオンショッピングセンターがありイオンシネマがありますから、ここへ行けば食事して映画を観てと、ひとりでも遊べますから便利です。
 で、今日は「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観てきました。

 物語の時代は昭和の半ば頃でしょうか。東京タワーの完成が昭和33年で、煙草屋の店先に「美智子妃殿下御懐妊」の貼り紙がしてありましたから、それは34年(1959)になると思います。私が当時小学4年か5年生ですから、登場するこどもたちと同じくらいということになるでしょう。いや、まずは懐かしかったですね。CGを随分使っていると聞いていましたが、どれがCGでどれがセットかよくわからないほど。当時の東京がよく再現されていました。車の走らせ方(その量と車種)もよく計算されていて、スバル360とダットサンとミゼットが多く、トヨペット、オースチン、ヒルマンなんかをハイソなところにうまく使っているようでした。人々の暮らしぶりもこのとおりで、茶の間やお勝手もウチとよく似ていました。物語はそうした暮らしの中の出会いや別れなどが大袈裟な事件なしに綴られて違和感がありません。あのころ人は健気だったのですね。原作の漫画は昔愛読していましたが、映画もまた脚本がよいのでしょう。質のよい喜劇の要素もありますので楽しく観ることができました。しかしそれでも泣かされました。何度かこらえた涙がそのうちこぼれて唇に落ちてきたのですが、それでも我慢していると段々スクリーンがにじんできちゃいました。しょうがないから周りに気づかれないように顔を拭いたのですが、それからは何かというと目が潤んでくるので困りました。しかし無理やり泣かされたわけではないのでかえって爽快で、笑いと涙は健康にいいのかもしれませんね。
 いや、いい映画でした。

2007年11月22日木曜日

西米良のイノシカチョーうまい

 写真は鹿肉の刺身です。西米良(にしめら)町の宿の夕食は猪鍋(ししなべ)とこれがメイン。いや旨いのナンノ。猪鍋のあとは雑炊を楽しんだのですが、この味噌仕立てのスープはダシを猪の背骨でとったという、なんとも深いコクの味。山には山の、海には海の食文化があるわけですが、旅することの多い我々の仕事は食との出会いも楽しみのひとつです。

111111

 11月21日午前11時34分。宮崎県新富町から西都市に向かう途中、今回の楽器車は総走行距離111,111キロとなりました。寸前ではドキドキしながらメーターを気にしていましたが、無事写真に収められてホットしました。次は123456狙いとなりますか。

高鍋のアジアな味

 高鍋の2日目は「るりや」という、アジアンテイストな創作料理レストラン。海辺(日向灘)の松林の中に建つオシャレなお店でありました。もう30分早く入店していたら海の夕景が見えたかもしれません。

 予算(少ない)を言っておまかせすると、「できたものから出しますネ」と、小さなオードブルがあってまず「ウニたっぷりのオムレツ」から。

 続きまして牡蠣ときました。生(なま)でよし、炭火で炙ってこれもよし。

 生春巻きを盛った素敵な器は、椰子の萼(がく)です。

 シーザーサラダには、初めて食べるカボチャの花やら、白菜も入っていましたがこれが美味しかった。

 チキンの料理も抜群で、手前に見えるオレンジ色のイモが旨かった。

 これが食べたかった「牡蠣の燻製入り焼きおにぎり」。

 ここまできたら予算オーバーは仕方ないと、この店40年の歴史メニュー「フルーツピザ」も頼んだのですが、これがなんとも嬉しい味でデザートともいえるいい終わり方。うっかり「ウニたっぷりのパスタ」と「牡蠣フライ」の写真を撮り忘れましたが、これまた共に美味しかったこと。

 各種料理に使われた「アジアの熱風(かぜ)」という名の店オリジナルドレッシング。オーナーいわく「魔法のドレッシング」は信じられるものでした。

 「餃子の馬渡(まわたり)」といい、ここ「るりや」といい、高鍋はなかなか侮れない町でありました。

高鍋の餃子

 今回の宮崎公演では高鍋町に2泊(19・20日)。ということで美味いものを探しました。まず初日は餃子です。「餃子の馬渡(まわたり)」というお店ですが、よくある中華な店でなく、割烹とでもいう店構えです。

 ご主人が釣名人で旨い魚も出しますが、どういうわけか餃子がメイン。高鍋は餃子が有名のようでした。

 焼き、揚げ、水(すい)のほか、手羽餃子、餃子の皮煎餅、餃子鍋(キムチ仕立てと水炊き風)などありまして、片っ端から注文しました。魚(刺身)は「時価」の表示にひるむも、女将さんの「美味しいから1枚ずつだけでも召し上がってみたら」という誘いに勝てず、これも注文。


 焼きと水(すい)はタレで、揚げと皮煎餅は塩でと、マァその美味しいこと。手羽はなかなかの逸品だし、鍋がこれまた(特にキムチ)ご機嫌でした。「時価」の魚は本マグロの大トロと中トロ。頼んだことに後悔なし。しかしほとんど餃子でこれだけ満足したのは初めてでした。締めは鶏玉(とりたま)雑炊にしましたが、これもまた正解で、最後のお勘定も我々に優しく、文句はどこにもありませんでした。

宮崎公演(4)

 今回の公演でも素敵なシーンが毎回ありましたが、特に心に残ったのが22日の西米良(にしめら)中学でした。
 この日は朝9時からワークショップを行い、箏・三味線・尺八・太鼓の4種すべてを生徒に体験してもらいながら、9時45分から開始するコンサートの中で「さくらさくら」を共演しようという企画です。おおよそ10分間のコマ割りで4種の楽器を指導し、コンサートもきちんとするわけですからメンバーにとっては過酷ともいえる仕事でしょうが、我がメンバーはさすがです。効率よくポイントを押さえた指導で中学生をどんどん和楽器に引き込みます。

 手取り足取り、楽しく厳しく。

 生徒をリラックスさせながら集中させます。

 音が出ても出なくても、みんな楽器をはなそうとしません。

 太鼓は姿勢と形を重視して、心にスジが通るよう。

 このあとコンサートに入ると、生徒たちはもうプロの演奏に釘付けの様子。直前に楽器体験をしたことで俄然興味が増したのでしょう。コンサート鑑賞には小学生も加わりましたので、児童たちにもコンサートの中で少しずつ楽器を体験してもらいました。で、いよいよ「さくらさくら」ですが、生徒全員はそれぞれの楽器で、たどたどしくも楽しそうに演奏したのでした。

 終演後、楽器を片付けていると一人の男子生徒が、「木魚をやりてぇ、叩きてぇ。死ぬほど木魚を叩きてぇ」と言いながら、そこを離れようとしないのです。木魚は我々がアンサンブルで使う打楽器のひとつですが、演奏を聴いて余程気に入ったのでしょうね。一度仕舞った木魚を叩かせてあげると今度は、「あぁ木魚を買いてぇ、絶対買いてぇ」と言いながら教室に帰っていきました。